映画「君の名前で僕を呼んで」を見て
映画「君の名前で僕を呼んで」という映画を見ました。
ツイッターでこの映画のことを知って、「なにこのタイトル!好き!」ってなったのが視聴するに至ったきっかけです。なんだかとっても詩的なものを感じました。
男性同士の恋愛を描いたものだということは調べてすぐにわかりましたが、オススメされたこともあり見てみようと映画館へ足を向けた先週の平日の夜。
だいぶ経ってしまったものの、なにかアウトプットしたい気持ちが残っていたので、ちょっと書いていこうと思います。
1983年夏の北イタリアを舞台に、現地に住む少年エリオとアメリカからやってきた青年オリヴァーが少しずつ惹かれあっていく、というお話でした。
情景がとても鮮やかで「来世は80年代のイタリアに生まれてぇ~」ってなりました。
主人公の少年とその友人、両親、そして異国からの来訪者…。それぞれの関係性が台詞やキャストの表情から滲み出ており、その中で「愛ってなんだろう」という問いに対する1つの答えを垣間見ることができたような気がする映画でした。
それと、先ほども述べた素敵なタイトルが作中で台詞で登場したりするシーンがあるのですが、タイトル・サブタイトル回収大好きオタクとしては「もうたまらん!」って感じでした。
題材が題材なので「みんな見て!!!」とは言いづらい作品ですが、僕としては学ぶところのある映画だったので、気になった人はためしに見てみてください。
特に好きだったシーンについて語っていきましょ~ということで、
「桃」のシーンがとても印象に残ってるのでお話します。
人間だれしも、とはいかないかもしれないけれど、それでも「自分のここは嫌い」みたいに思う人は少なくないのではないかと思います。物語のなかでどこか自信なさげに描かれていたエリオもきっと、件のシーンでは自己嫌悪にどっぷりだったでしょう。
それをオリヴァーは優しく受け止めていたように見えました。
「愛される」ということはすなわち「受け入れられること」「認められること」なのではないかなぁとこのシーンを通して感じました。
その後、書斎でエリオが父親と語るシーンにおいても、「同性愛」という社会から受け入れられにくいものについて、父はエリオとオリヴァーの関係性を、2人について大切なものとして認め、受け入れていました。そこには親から子への愛が確かに存在していたように思います。
視聴前にもあったかもしれない認識ですが、この映画を見たことによって1つの実感としてとらえることができました。映画に限らずですがいろんなものからこういう風な学びを得ていきたいです。
気が向いたらまたこんな形でぐだぐだと殴り書きしてみようかなと思います。